lapse of memory


熊本にいる母方のばーちゃんの容態がよくないらしい。先週はいよいよ駄目かと連絡があったんだけど、それから持ち直して今も生きている。
そして昨日、誕生日を迎えた。確か93歳だったかな。ただ、次の誕生日まではもう無理だろうというのが身近な人たちの感想だった。俺は遠くにいるので実感があまり沸かない。
最後に会ったは今年の正月。少し痴呆が始まったと言ってたが、俺の名前も覚えてたし、会話もできた。多少弱っている感じはしたけど、心配するほどではなかった。
俺のばーちゃんのイメージはそこで止まってた。

今は会話もほとんどできないらしい。自分の誕生日が来たことも理解しているかどうかわからないとか。
もう俺の知ってるばーちゃん像とは全然違う。まさかこの2~3ヶ月でこんなに容態が変わるとは思ってなかった。

ばーちゃんはこのまま何もなくなってから死んでいくのだろうか。今まで生きた人生は本当に色々な出来事があったはず。それを今、少しずつ手放してしまっているのかもしれない。そう思うとどうしようもなく悲しくなる。
作成日:2010/03/24 03:16:08
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コメント
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Similar experienceサマ 24Mar2010 10:33AM
前年の晦日に同様の経験をしました。
容体悪化の報から1ヶ月弱。危篤の報に至っては数時間。
予想の何倍も早いスピードで事が進み、あまりの早さやあっけなさから、そうなった時は悲しみより驚きの方が大きかったことを記憶しています。
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そうし 25Mar2010 02:38AM
> サマさん
不幸があったとだけは聞いていましたが、そんなに急に事が進んでいたんですね。
さらに年末年始も重なって大変だったと察します。

まだ覚悟ができていない時、またはあまりに突然だと実感するのに時間がかかる感じがしますね。
直接現状を目の当たりにしてないせいもあるかも知れませんが。
ただ、実家と連絡を取りながら段々と実感がわいてきています。
覚悟しないとですね。
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